書いてたら果てしない愚痴になりました。
おばあちゃんの初七日で、上の家から下の家へおばあちゃんを移しました。
上の家は3年くらい前に引っ越すまで住んでいた、おばあちゃん夫婦が建てた家です。今住んでいる下の家はもともと素泊まり用の民宿だったところを微改築して暮らし始めました。上、下というのは物理的位置です。山の斜面に建っているのが上の家、そこから山を下ったところにある駅ど真ん前の平らなところに建っているのが下の家。
保険関係の資料が届いたり郵便局などの名義相続の話をしたりと現実に戻ってきた感覚がすることが多くなりました。お葬式とかお通夜とかその辺の弔いの儀式は現実味がないです。気持ちとしては動きたくないのに、動かざるを得ない状況になっていて悲しい気持ちを一時的に忘れるんだけどふと思い出して一気にぶわっとくるのがいけないんだと思います。すぐそこに棺桶に入った遺体があるのに周りの人は動いているところもいけない。私の住んでいるところでは人が死んだら集落全体が動きます。そもそもうちの集落は近い人も遠い人もいますが皆親戚、苗字一緒。苗字が一緒だと不便そうに思われますが屋号で呼び合うので区別はつきます。親戚のお葬式には手伝いに行かなければいけない、女性は台所周りを男性は外や力仕事、事務などをしています。ご年配ばかりの集落、人生の経験値が他の人たちの1/3程度しかない私は普段家事の手伝いをしないのも相まりこういう時にどう動けばよいやらわからずおろおろしてばかり。でももう二十歳過ぎたんだからいっぱしに使えるようになっていなければならないし親戚特に女性の水面下の人間関係は私なぞには計り知れないくらい怖ろしい部分もあるわけでここで使えるところを少しでも見せておかなければという変なプレッシャーが襲ってきます。それが嫌です。狭い台所にあんなに人が集まって作業するのも嫌です。そもそも狭いところに人がたくさんいる状況がダメなので身体も気分も滅入りっぱなしで負の螺旋が続きます。私は地元から出たくなくて今の大学に進学しましたがこういうのがあると自分が出て行くか他を排除するかしたくなってたまらなくなります。どっちもしないしできないですが。
家は好き。集落は嫌い。