大学生の携帯電話料金は月に約一万円だそうです。
この料金分の時間を携帯電話に向き合って過ごし、料金支払いのためにアルバイトに勤しむ。極端な話、起きる→携帯電話を使う→大学での講義→携帯電話を使う→アルバイト→携帯電話を使う→寝る、のように携帯電話の使用を中心とした一日を過ごしているから、本を読む時間も講義内容を振り返る時間も取れない。支払った料金は、限定された企業の中へ消えていくのみ。果たしてこの状況のままでいいのだろうか。
というようなことが今日受けた講義の中でちょこっと話されました。
電車の中で、ふと気付けば周りには携帯電話をカチカチしている若者の姿しか見当たらないなんて経験をしたという話をどこかで見かけ、それ以来、電車に乗ったときに周りの人が携帯をいじっているのが目につくようになったし、携帯電話を取り出す度に自分もその中の一人だということを自覚するようになりました。
私は携帯電話に対して、通話機能やメール機能といったコミュニケーションツールとしての役割以上に、ネットワークへの接続ツールとしての役割を携帯に求めており、料金割合もパケット通信料が大半を占めています。
暇を持て余しているときはもちろん、移動中や何かしている最中のちょっとした隙をついては携帯電話をいじっていたんですが、一人暮らしを始めてからは、パソコンを使ってインターネットに接続する時間が減った分を携帯電話で埋めるようになりました。
時には携帯で見ていたコンテンツ内容から目が離せなくなり、ずっと接続状態にしておいて、隙を見て少しずつ読みすすめることもあります。ひきこもって延々携帯電話をいじっている時もあります。
以上の話を見れば、携帯電話に依存している、と思われるだろうし、それに近い状態かもしれないと自分でも思います。
携帯電話を使うのに要した時間で、もっと有意義なことができたんじゃないかと思うことが何度もあります。今もそう。
でも、やめない。どうにも手のひらサイズの娯楽を手放せません。
中学、高校のホームルームの時間、担任の先生から「けじめをつけるように」という言葉を何度も聞きましたが、私には携帯電話とのけじめをつけることが難しいです。
私の意志が弱く、楽な方へ楽しい方へと逃げているのが原因で、そんな自分が本当に糞だな、というところまで講義を聞いて思ったけれど、私はまた携帯をいじります。自分がダメだと認識したつもりで結局逃避?
携帯電話がなくても、ネットに接続できる環境があれば私の行動は改善されないような気がするのも甘えた考えなんだろうなあ。お前には自制心がない、の一言で終わる。
自制心ってなんだよー。やらなきゃいけないことに限って面倒臭くてやりたくないよー。楽で楽しいことに逃げたいよー。
卒論がいまだに終わりません。ああやらなきゃ。